なぜイギリスはコーヒーじゃなくて紅茶なのか? | 大磯珈琲庵 コーヒー豆通販ページ 世界中から厳選されたコーヒー豆13種類を自家焙煎でお届けします

 

2018/03/05 23:30



イギリスというと紅茶というイメージが強いと思いますが、イギリスで紅茶の文化が始まったのは18世紀に入ってから。

それまでは植民地であったセイロン(スリランカ)やインドでコーヒーの栽培が行われイギリスでもコーヒーがよく飲まれていました。

ヨーロッパでコーヒーの消費が始まったのは15世紀なので、約300年以上イギリスでも大量のコーヒーが消費されていたことになります。

コーヒーは15世紀半ばアフリカに生まれ、その後ヨーロッパで飲料として発展しました。

中世以降のヨーロッパではタバーン(居酒屋)やエールハウス、フランスではキャバレーと呼ばれるアルコールを提供する場が人々が集まる社交の場所として機能していました。


そのころイギリスでは、国王チャールズ1世が即位していましたが、彼はいわゆる国王の神授性という、

国王の権利は神様から授かったものだから、議会がなに言おうが国民が不幸になろうがわしゃ知らん!

という根拠のもと、国を私物化し無茶苦茶やっているという時代が続いていました。


1649年に議会を無視して暴走する国王チャールズ1世がとうとう処刑されてしまいます。これが歴史でならったピューリタン革命(清教徒革命)です。

その後共和国化したイギリスは、クロムウェルを代表とした清教徒、ピューリタンの支配となり、そのピューリタンにとって害悪とされ摂取を戒められたアルコールを提供するタバーンやエールハウスは次第に衰退していきました。


アルコールのもたらす作用が酩酊というものに対して、コーヒーはアルコールの害悪を体から消す働きとカフェインの覚醒が人間の知性を高めると考えられ、ロンドンには3000店を超えるコーヒーハウスができるまでの発展となります。



また当時、土地を所有し経済を支配していた貴族や地主などの上流階級に対し、コーヒーやお茶、綿花や砂糖などの、『自国ではとれない農作物を扱う』貿易商人たちは、国内に独自のコミュニティと新しい経済の仕組みを作り出していました。


物を運ぶ海運、その船荷に対しての保険、状況を伝える新聞社や出版社、資金調達のための株式や先物などの取引市場。その他芸術、政治から賭博に至るまで。

今でも多く残るこのシステムが作られたのは人々が多く集まるコーヒーハウスでした。

これは当時ペニーユニバーシティと呼ばれ1ペンスを払ってコーヒーを飲みさえすれば誰でも参加が可能な知的コミュニティとして発展しました。


しかしそのコーヒーハウスは女人禁制、閉鎖的な男だけの秘密の場所であり、家庭を顧みずコーヒーハウスへ入りびたる男たちへの不満を世の女性たちは大きく膨らませていました。


そこへトマストワイニングがロンドンに、女性も入ることのできる紅茶専門店、『ゴールデンライオン』をオープンさせます。

この紅茶専門店が、男社会に嫌気がさしていた女性たちの爆発的な支持を受けることになるのです。


また同じ時期に植民地であるセイロン、インドでのコーヒーの栽培がサビ病といわれる植物の病気で全滅してしまいます。

イギリスはヨーロッパにおけるコーヒーの覇権争いで宿敵オランダに負けてしまい、セイロン、インドではコーヒーの栽培から紅茶の栽培へとシフトすることになるのです。


宗教的始まりであったコーヒーのカルチャー、産業革命で急速に豊かになりつつあった社会、そしてその中で大きなうねりとなった女性のパワー。換金植物をめぐる覇権争いと植民地支配の歴史。

これらが複雑に絡み合ってイギリスで紅茶が急速に発展して行ったそんな歴史があるんですね。

いかがでしたか?
大磯珈琲庵でも17世紀に初めてインドで発芽したコーヒーマイソールを深煎りの焼きでお楽しみ頂けます。

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